今回の朝ドラ「あさが来た」では主人公・広岡浅子さんを演じる波瑠さんと共に、広岡浅子さんの腹違いの姉である三井春さん(ドラマでは今井はつ)を演じる宮崎あおいさんがダブルヒロインの1人として注目を浴びました。
性格的に正反対の姉妹ですが、ドラマでも如実に表現されていて2人の歩む道に明暗が別れていくところが何とも切なくなります。
この記事では、その主人公・広岡浅子さんのお姉さんの三井春さんにスポットを当て、さらには
広岡浅子さんの子孫たちがどうなったのか?
についても調べてみました。
また、広岡浅子さんは2014年上期に放送された朝ドラ「花子とアン」の主人公である村岡花子さんとも実は接点があります。
一体どんな関係なのか?についても触れていきたいと思いますので、ドラマの主題歌を聴きながらリラックスして読み進めてみてください。
広岡浅子の姉・三井春はどんな人だった?
三井春さんは、浅子さんの2歳上の異母姉になります。
春さんは、浅子さんが加島屋に嫁いだ6日後に大阪の両替商の名門・今橋天王寺屋に19歳で嫁ぎました。(ちなみに今回のドラマでは確か嫁ぐ順番が逆になっていましたよね。)
春さんの夫は大眉五兵衛さん(おおまゆ・ごへえ) 。
春さんが嫁いで直ぐの頃、明治維新が起こり、夫・大眉五兵衛さんは嫁をもらった早々にいきなりピンチに立たされます。
そして、変わりゆく世の中についていけなかったのか、両替商にこだわり過ぎたせいで、今橋天王寺屋は倒産してしまうのです。
その後、一家は谷町長屋に転がり込んで、家族を養うために夫・大眉五兵衛さんは、天秤棒を担いで物売りにでることに。。。
そんな夫を、大眉春(三井春)さんは懸命に支え、縫物などの内職をしながら家計をやりくりし、家族一丸となって新たな時代での幸せを見つけて行こうとしたんだそうです。
まさに古き良きヤマトナデシコの鏡のような女性と言えるでしょう。
先を見据える先見性があり、新しいものに果敢にチャレンジして行った妹とは正反対ですね。
幼少期にしても妹・浅子さんがたいそうなお転婆だったのに対し、春さんには琴や裁縫が得意なおしとやかさがある…という正反対な性格。
そんな性格の違いが、そのまま2人の対照的な人生になってしまうことになります。
そして、どうやら春さんは献身的な苦労も虚しく25歳という若さでこの世を去ったようです。
残念ながら、春さんの最期がどのようなものであったのかは資料がなくわかりませんでした。
ドラマ「あさが来た」では難を逃れたあさが嫁いだ加島屋(ドラマでは加野屋)と実家の三井家(ドラマでは今井家)からの援助の申し入れを断り、夫婦だけで苦難を共にする道を選択する展開になっています。
ドラマでは春(はつ)さんの最期が早くにくると予想していたのですが、一家そろって和歌山に行き農業で再出発するという展開になったので、
とそんな予感がしているのは私だけじゃないでしょう。
いずれにしても、ドラマ上では春さんの芯の強さを強調する感じで描かれていて好感が持てますね。
実際の春さんも、うちに秘めた闘志は妹・浅子にも勝るとも劣らないものだった・・・
今はそう信じるに留めて置くことにしたいと思います。
ちなみに後々、
という情報もありますので、予想通り再登場してくるときを楽しみに待っていましょう!
広岡浅子の子孫たちはどうなった?
広岡浅子さんは夫・信五郎さんらと加島屋の立て直しに奔走していた頃、娘・亀子さんを相当な難産の末授かりました。
明治9年(1876)10月のことです。
今回のドラマでは、あさが炭鉱に行っている間に妊娠が発覚し、心配して伸五郎が九州まで迎えに行っていましたよね。
広岡家が大変な時期であったこともあり、浅子さん夫婦は、それ以後、2人目以降を諦めて家業の経営に専念することになったそうです。
ちなみに、夫・信五郎さんは女中(小藤とも)との間にも三女一男を授かっています。
そのうち…
他の三女については残念ながら情報がありませんでした。
さて、浅子さんの一人娘である広岡亀子さんはというと、京都府女学校を卒業後に一柳子爵家の次男である一柳恵三さん(広岡恵三)を婿に迎えます。
そして後に、亀子さんと恵三さんは一男四女に恵まれました。
この恵三さんは、東京帝大を卒業し三井銀行を経て、加島屋経営に加わりることになります。
その後、広岡家の跡取りとなり、加島銀行の頭取と、大同生命の2代目社長に就任。
更に大阪電気軌道の初代社長にも就任しましたが、浅子さんがリスクがありすぎると辞任させたらしいです。
浅子さんは男勝りの性格で、とにかく新しい事へのチャレンジャー精神旺盛な方だったイメージがありますが、こういったリスク管理も徹底していた上でのチャレンジだったのでしょうね。
だからこそ成功できたのだと思います。
その後、亀子さんと恵三さんの息子である喜一さんも大同生命の取締役を努めましたが、結果的に広岡家の手から大同生命が離れたようで、しかも加島銀行も昭和恐慌で倒産している関係もあって、
ただ、1人娘の亀子さんは97歳まで長生きしています。(1973年没)
なので、今回の朝ドラでも、亀子さんが昔話で母・浅子について語るシーンが最後にあるのでは?と個人的に予想しています。
そして、その懐かしみながら語るシーンで、これまでの回想シーンが流れる・・・
そんな美しい終わり方になればいいですねぇ~
以上が広岡浅子さんの子孫たちについての現時点での情報になります。
村岡花子との関係は?
冒頭でお伝えした通り、広岡浅子さんは、2014年上半期の朝ドラ「花子とアン」の主人公である村岡花子さんと交流があったことがわかりました。
浅子さんは晩年、女子の教育と地位向上のために精力的に活動していたのですが、日本女子大学設立後もその情熱は衰えることがなく、1914年~1918年(亡くなる前年)まで毎年、夏に御殿場の別荘にて若い女性を集めた合宿勉強会を開きます。
そして、この勉強会に実は村岡花子さんが参加していました。
キリスト教の夏期講座とも呼ばれていたそうなので、師匠までとは行かなかったとしても熱心なクリスチャンであった花子さんら若い女性達に、浅子さんは多大な影響を与えたと言っても過言ではないでしょう。
そうなると、、、
もしかしたら「あさが来た」のドラマ上でも「花子とアン」で主役を演じていた
と想像が膨らみます。
「あさが来た」の新たな楽しみが増えましたね。。。
これは最後の最後まで、ドラマから目が離せそうにありません!
やっぱり朝ドラはこうでなくちゃ~
以上、最後までお読み頂きありがとうございました。
朝ドラ「あさが来た」は幕末、明治期の女性実業家である広岡浅子さんの生涯を描いたドラマです。 「あさが来た」の物語は大変好調のようで、始まって既に半分を経過して、これから迎えるクライマック[…]