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水谷隼の経歴は?うつを克服しラケット不正問題と戦う侍が凄い!

水谷隼選手は日本卓球界に革命をもたらした選手です。

記憶に新しいのはやはりリオ五輪

個人で銅、団体でもエースとして縦横無尽の働き。

日本卓球界史上初となる銀メダルを獲得。

決勝では宿敵・中国に屈しましたが、その決勝戦の許キン戦で見せた連続得点による大逆転勝利には本当にしびれました。

 

本人が五輪前に言っていた

守備的なプレーを封印して攻撃的に!

という宣言通りの凄さにこれぞ「侍魂」というのを誰もが感じたと思います。

 

これまでの世界選手権での輝かしい成績も含め、日本男子卓球界に輝きをもたらしてくれた水谷選手は、世界の卓球界にもずーっと大きな問題を提起して来ました。

 

この記事では、うつ病も克服して現在も走り続けるそんな水谷選手の経歴に迫ってみます。

 

水谷隼選手の気になる経歴は?

水谷隼選手は1989年6月9日生まれの27歳

卓球選手の寿命は他のスポーツに比べ長い印象があり、世界には40歳過ぎてもトップレベルにいる選手もいるので次の東京五輪でもまだまだ高いレベルをキープして、きっとリオ五輪以上の結果を出してくれるものと思います。

 

彼が生まれたのは静岡県磐田市。

やはりサッカーどころの静岡だけあって彼自身も小さい頃からサッカーを始め、いろいろなスポーツで才能を見せるスポーツ万能選手でした。

 

そんな水谷選手は、両親が卓球経験者だったこともあり、最終的には卓球の道に進みます。

具体的には5歳で父親が代表をしている豊田町卓球スポーツ少年団に入団し卓球を始めると、小学1年で初出場した全日本卓球選手権の小学生2年以下のクラスでいきなり準優勝。

その後も、成長と共に各クラスで優勝を飾りました。

 

そして中学になったころ、更なる卓球選手としての成長を求め卓球漬けの環境に身を投じるように福原愛選手などもいた名門青森山田中学への転校を決意します。

すると、そこで更に才能が開花し日本卓球選手権ジュニアの部で優勝。

一般の部でも堂々とランク入り。

中学生でも社会人などを相手に勝負できるのは、福原選手などの影響で卓球世界では当たり前で面白さの1つでありますが、それにしても体格や経験も違う相手に対してですからホント凄いことですよね。

 

そのまま青森山田高校に入ると2005年には15歳10ヶ月という当時の史上最年少で日本代表にまで登りつめます。

この背景にはアテネ五輪での惨敗があり世代交代という理由もありました。

その代表入りを機に、ドイツリーグ1部でもプレーしドイツと日本の往復生活を送ります。

 

世界トップリーグでの経験を活かし、自分より目上の選手の大物喰いを果たせる若きエースに成長。

高校3年には遂に史上最年少で全日本選手権を制覇しました。

 

そして、高校卒業後の進学先に選んだのはこれまた名門の明治大学

大学2年で臨んだ2008年の北京オリンピックでは団体で5位。

続く2009年には国際オープン大会で初優勝し、2010年には世界ランキングのトップ10入りを果たすまでになります。

 

さらにその後も着実に成長を見せ、全日本選手権5連覇など進化を現在進行形で続けていて、リオ五輪での活躍に繋がるのはご承知の通り。

最新の世界ランキングでは5位につけてます。

 

ざっとここまで説明しただけでも、その成長ぶりにお腹いっぱいといった感じですが、実は数々の困難を乗り越えての実績なのが更に凄いところです。

どういう困難を乗り越えてきたのかは後述します。

 

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水谷隼選手はどんなプレースタイル?

水谷選手は172cmの長身を生かしつつ、柔らかいボールタッチとボールが来るコースに対する高い予測能力を発揮し前中後衛どこからでもポイントが獲れるオールラウンド型でしたが、ここ数年は筋肉も付いてきて、積極的に前に出るパワーあふれる卓球が目立つような気がします。

シェーク攻撃型と紹介されていたりするので攻撃型のスタイルは誰もが認めるところなのでしょう。

そして今まではカット打ちの相手が苦手でしたが、現在は克服しているように思われます。

 

特に得意なのはサーブ20種類以上のレパートリーがあるそうです。

また、昔はバックハンドも弱点の1つだったのですがこれも今では、むしろそのバックハンドが大きな武器になっています。

 

自分のウィークポイントだったところを克服するだけでなく逆に武器に変える

というストイックさは素晴らしいですね。

そういう意味で、彼にはまだまだ伸び代があるように感じます。

 

また、同じ左利きの選手に対しも分が悪かったのですが、先述したリオ五輪での団体決勝で許キン選手を破ってますのでこれも克服しつつあると言えますね。

 

厳しかった両親、何と左利きは矯正?

小さい頃から輝かしい戦績を誇る水谷選手。

これは本人雄才能はもちろん、その才能を開花させるためにあらゆる手を尽くした両親のお蔭があるかもしれません。

 

水谷選手と言えば今は左ハンドのイメージがすっかり定着していますが、これは実は両親による矯正だったそうです。

 

もともと右利きだった彼に対し、卓球では左利きが有利になる!と卓球での利き腕を小さいうちから強制的に左に変える指導を行ってきました。

確かに、卓球の試合を見ると左利きの選手って右利きとほぼ同じだけいるイメージがありますよね。

 

このご両親がいなければ左ハンドの水谷選手は存在しなかったわけですから、さすが、卓球経験のあるご両親だなぁ~と思う反面、息子が大成するためへのストイックさに厳しさという深い愛情を感じます。

 

中学、高校で寮生活してまで卓球強豪校青森山田に進学したのもご両親の薦めなんだそうです。

今の活躍があるのもこの小さい頃からのご両親の厳しい指導の賜物であることがよくわかりますね。

 

そんな両親に厳しく育てられた彼もプライベートでは2013年に7年お付き合いしていた一般女性の方と結婚しています。

高校時代のときからという計算になり奥さんは3歳下なので、当時はまだ中学生だったことがわかります。

きっと青森の方なのでは?と予想してしまいますね。

 

水谷選手本人が

「一般の方なので…」

と奥さんを守っていらっしゃるので、ここでのこれ以上の詮索は止めておきます。

 

また水谷家には2014年に長女が誕生しており献身的に支えてくれる奥様と一緒に彼の大きな原動力となることでしょう。

彼がこれからもストイックに卓球道を追及していく姿を私も影ながら応援させて頂きます。

その長女はやはり…第2の愛ちゃんになるのでしょうかね??

 

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ラケット不正問題に立ち向かった水谷選手

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水谷選手は2009年に自らの選手生命を掛けて告発したのは、国際卓球連盟が定めたラケットへの後加工は禁止というルールに対する不正行為についてです。

具体的にはラケットに補助材とよばれ石油系の油脂を塗る行為のことになります。

 

この補助材を塗ればラバーの反発力が高まり球のスピードが上がったり、スピンが掛かり易くなったりするまるで魔法の薬のようなもの。

 

野球でも木製バットに何か埋め込んでいるなどと日韓戦でひと騒動ありましたが、それと同じようなことですね。

でも、実際に使用した日本選手が意識不明で倒れたりするなど人体に有害な成分も含まれ、日本では使用禁止が徹底されています。

 

ところが、中国を中心とした外国人は不正と知りながらも使用を続け年々増えているんだとか。

これにはラケット不正検査器にも問題があり、違法ラケットでも楽々検査が通過できてしまうという現状が背景にあるようです。

練習場などで堂々と補助剤を使用しているケースが後を絶ちません。

 

やはり、これには卓球界で圧倒的に第一線を独走する中国の影響力が大いにあるらしいです。

 

この状況を見て

このままでは卓球がスポーツではなくなる

と危機感を募らせ問題提起したのが水谷選手でした。

 

そして彼は…

不正ラケット撲滅がならないのなら国際大会には出ない

と不正事実を見過ごしている卓球界を告発したのです。

 

スポーツはフェアプレーでやるものであり、陸上や水泳などではためにドーピングの問題が出ます。

この卓球の不正ラケットもいわば用具ドーピングであり、このままの状況が続けば卓球の技術ではなく、道具の技術を競うものになってしまうという彼の訴えはもっともですよね。

 

どんなスポーツでもこういうケースはあるのかもしれませんが、トップ選手が告発するという事は大きな衝撃でした。

 

全てを書こうとすると長くなってしまうので結論を急ぎますが、結局のところこの不正ラケットは現在も残っています。

 

国際大会をボイコットしていた水谷選手も、

「僕は技術を磨く事でこの不正に勝つ」

と考えを改め、1から鍛えなおすためにロシアに渡りました。

 

国際卓球連盟の会長は不正を認める発言をしていますが、もともと中国寄りの方のようで撲滅するような動きはないまま現在に至っています。

 

なので、今回のリオ五輪での水谷選手の活躍には、そうした不正問題との確固たる闘いも背景にはあったんです。

 

思い出すのは水谷選手が勝利後に渾身のガッツポーズをし、その後ラケットを放り出して仰向けで倒れ込んだシーン。

そこには、彼の何年にも及ぶ侍魂が1つの実を結んだ結果と言えます。

まさに金メダル以上の活躍だったと改めて称えてあげたいですね。

 

うつ病になってしまった水谷選手…

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順風満帆に見える水谷選手にも実は挫折の時期がありました。

先に書いた卓球界の不正行為を告発したとき、

 

「負けた言い訳にするな!」

「そんなこと言う暇があったら練習しろ!」

 

という心無い言葉に大きなストレスを抱え、うつ病を患ってしまったのです。

 

それを克服できたのは、多くの外国人選手たちの

「国際舞台に戻って来い」

という声でした。

 

これはどういうことかと言うと、結局その声を掛けてきた外国人選手は水谷選手の告発した事実を全く知らなかったのだそうです。

 

自分1人で闘っても仕方が無いと開き直って、時間がもったいないと練習に打ち込んだこれが克服できた要因ということです。

もちろん、奥さん始めいろいろな方の支えもあったのだと思いますが…

 

彼の

「アスリートにとって時間は命」

という言葉には多くのことを気付かされます。

 

我々一般人でも時間の重みは違えど大事なことです。

 

より良い人生のために時間をいかに有効に使うか?

ということを我々ももっと重視して生活しなければなりませんね。

 

今年3月に、彼は


「負ける人は無駄な練習をする
勝者のメンタリティー」

 

という非常に挑戦的なタイトルの本を実は出版しています。

 

水谷選手の告発からリオ五輪でメダルのストーリーを考えると、とても奥が深いタイトルです。

 

ラケット不正問題に対するこの彼のサムライ魂は我々日本人が一番思い出すべきものなのかもしれません。

 

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「水谷隼選手の経歴」まとめ

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日本屈指の卓球選手である水谷選手は今回のリオ五輪によるメダル獲得で日本卓球界の前人未到の領域をさらに広めました。

しかし、不正ラケット問題も含め本当の意味での闘いはまだまだこれからです。

現状に満足する事無く、正々堂々と戦いたいという思いがそこにはあるでしょう。

告発という形で何かを変えようとしましたが、結局は1個人にとってはとてつもなく大きな壁でした。

 

ただ、それを悟りそれでもどんなに相手が強大だろうとやり方を変え正々堂々と戦いを挑む本当の意味での「サムライ魂」を見ると、その姿を応援せずにはいられません。

今回、その戦いの足掛かりとしてメダリストという称号を得ることができました。

テッペンはもう直ぐそこです。

 

メダリストとして、今は各方面から取材攻勢など引き手あまたでしょう。

その合間をぬってしばし休息して頂き東京五輪で金メダルというこれ以上ない結果に向けてまた再スタートを切って欲しいと思います。

 

そして、

不正をしなくても勝てる!

ということを最高の形で卓球界全体にアピールする彼の姿が見れることを信じています。

がんばれサムライ水谷選手!