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高桑早生のプロフィール!病気に勝った走りが凄い!

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高桑早生さんをしってますか?

昨年9月17日放送の「みらいのつくりかた」にリオパラリンピックを目指す選手として特集されているのを見て、私は始めて彼女の名前を知りました。

 

一見すると、元気で明るい今時の女の子なんだけど、高桑選手は中学の時に病気で左足を失うというハンデを強いられることになります。

足を失い、塞ぎこんでしまってもおかしくない状況にも挫けず持ち前の明るさで前を向き、さらには陸上に興味を持ち、以後義足ランナーとして練習に励みロンドンパラリンピックの日本代表に選出されるまでに成長しました。

 

今度のリオパラリンピックではメダルも期待される高桑選手。

この記事ではそんな彼女の病気のことや陸上を始めた経緯、更には出身高校・大学など詳しいプロフィールを調べてみました。

 

高桑早生選手プロフィール

高桑早生選手のプロフィール

名前:高桑早生(たかくわ・さき)

生年月日:1992年5月26日(25歳)

出身:埼玉県

出身校:東京成徳大学深谷高校⇒慶応義塾大学

自己ベスト100m 13秒96

高桑選手の自己ベストである13秒96というのは、本番のオリンピックでは決勝に残れるかどうかの当落線上のタイムなんだとか。

メダルを狙うためには、もっとタイムを上げる必要があることになりますが、それでも私が高校時代に出したピーク時のタイムとほぼ一緒^^;

素人の私と比べて大変失礼ですが、ハンデがある状態で…と思うと凄いです。

 

それでも、メダルには届かないなんて…

やはりパラリンピックも大きい大会ですし、世界の基準も私たちの想像を超えてます。

改めて、メダリストたちをリスペクトです。

 

その高桑選手のハンデについてですが、中学校1年の6月という多感な時期に左足ひざ下を切断することになりました。

原因は骨肉腫だったそうです。

 

以来、義足生活という大きなハンデを背負いながらも中学に通い続けたそうで、逆境にも負けない精神力前向きな気持ちの強さを兼ね備えた選手と言えるでしょう。

義足で、しかも抗がん剤治療により髪の毛も抜け落ちた状態でしかも多感な時期にですよ?

普通だったら…自分の居場所がないなど周りの目も気になるものです。

 

でも、むしろ心配していたのはお母さんの方だったとか。

もし自分が同じ立場だったのなら周りと自分との差に耐え切れず、学校に行けなくなってしまうかもしれません。

 

高桑選手は、小さい頃からじっとしてられない程の活発な女の子だったそうで、明るく真っ直ぐな性格が精神的にタフにしたのではないでしょうか。

 

高桑選手が最初に左足に違和感を覚えたのは実は小6の時だったそうです。

その時に既に骨肉腫と診断されましたが腫瘍は最初「良性」と言われてたらしく、すぐに手術で取り除いたお陰で転移などもありませんでした。

骨肉腫というと、我々にとってもよくドラマで取り上げられることも多く馴染みはあるけれども肺などに転移するケースが多いと聞きますのでただただ怖いイメージがあります。

 

でも現在は、医療が発展して発症時に転移を起こしていなければ半分以上は完治できているそうです。

しかも人工骨や骨の移植といった再生医療の進歩で腕や脚を切断せずに温存できるようになってきているとのこと。

 

骨肉腫はその75%が20歳未満の若い患者さんということで、まだまだ成長段階という背景もあるんだと思います。

 

高桑選手の場合も最初の手術後、何もなければ、左足を温存できたようなのですが、中学へ入学した直後に、手術で削った部分の骨が一向に再生されてこない状態なのがわかり、再手術をすることになります。

更に再手術後の検診で、それまで良性だと言われていた腫瘍が一転して今度は「グレー」と診断され、3度目の手術という選択肢しかありませんでした。

 

更に更に!その3度目の手術後の検診で今度は「悪性」と診断されてしまいその3日後、切断手術をしたそうです。

命が助かっただけでも不幸中の幸いと言えるのでしょうが、計4度の手術はそうとう辛いものだったことでしょう。

 

しかし!

先ほども書いた通り、その後の高桑選手の精神的な凄さには頭が下がる思いです。

 

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高桑選手が陸上を始めた理由

無事に中学校へ復帰した後、高桑選手は初めは何と!ソフトテニス部に入ったそうです。

ダブルスで実際の大会にも出場した経験もあります。

 

こういう言い方は失礼だと思いますが、高桑選手は常に周りをビックリさせてくれ、しかも明るい性格ですから、周りにいる方達もきっと楽しくて仕方ないといった感じでしょうね~

 

しかも更に驚くのは、中学3年になると、それまでの母親の送り迎えを断り?雨の日以外は自転車で40分もかけ学校まで通い続けたことです。

高桑選手が義足での行動範囲を広げていこうとする意識には感服するしかありません。

そして、その意識の高さが陸上競技との出会いに繋がることになります。

 

陸上競技は自らの意志で!

高桑選手が障害者スポーツ施設の練習会に初めて参加したときのこと。

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付き添っていた義肢装具士の高橋将太さんから突然、

「走ってみて」

と言われました。

 

高橋さん曰く、

普通だったら義足の人にとって走るというのはハードルが高くどうやって走ったらわからない

ものなんだそうですが…

 

高桑選手はケロッとしていて

「はい、わかりました」

と、いきなり普通に走ってみせました。

 

常に自分の活動範囲を広げる努力をしていた高桑選手の中には、このとき既に「義足のハンデ」は全く持ってなかったらしいです。

 

実はこのとき付き添った高橋さん自身も高桑選手と同じように骨肉腫で同じ中学1年の時に片足を切断しています。

高桑選手にとっても自分と同じ境遇の高橋さんは心強い存在で信頼していたということもあったのかもしれません。

この時の様子を見た高橋さんは「この子が陸上競技をやったら凄いことになる」と予感したそうですが、見事その通りになりました。

 

ただ、当時の高桑選手はソフトテニスをしていたので敢えて陸上競技は進めなかったとのこと。

なので実際に陸上競技をやろうと決めたのは高桑選手自身の意思だったようです。

自分の体1つで勝負できて、しかも自分の体を思いっきり使ってやる陸上競技に魅力を感じて東京成徳大深谷高校に進学し陸上部に入りました。

 

そして高校2年生の時に初めて出た国際大会であるアジアパラユースに出場し、いきなり100メートル、走り幅跳びで金メダルを獲得しました。

 

高校3年時のアジアパラリンピックでは100メートルで銀メダル、走り幅跳びで5位入賞とアスリートとして着実な成長を見せます。

その後は慶應義塾大学に進学し、大学でも体育会競走部に所属することに。

 

慶応を選んだ理由は陸上部の雰囲気が初心者歓迎のとても寛容な雰囲気だったから。

恐らく練習見学会などでここなら義足のハンディキャップも受け入れてもらえると感じたのでしょうね。

 

高桑選手は大学でも更なる成長をみせ、ついにはロンドンパラリンピックの日本代表に選ばれました。

本番では100mで7位という記録でしたが、まだまだこれからの選手。

 

高桑選手の努力と性格から考えると、きっと今度のリオパラリンピックでも更なる好成績を残せるでしょうし、最終的な目標である東京五輪での金メダル獲得に向けてますます成長していくのは目に見えています。

そんな高桑選手の応援動画を見付けたのでご紹介します。

 

そうそう、この間のリオオリンピックの陸上は日本は男子リレー4×100mで銀メダルを獲得しましたね!

 

すごく感動させられましたが、そのリレーに出ていた山縣亮太選手。。。

実は高桑選手と慶應大学陸上部の同期であるとのこと。

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過度な期待は酷な気もしますが、ぜひ高桑選手にも、その山縣選手に負けないようなパフォーマンスを見せて欲しいです。

 

今回のリオパラリンピックで高桑選手が出場するのは

  • 走り幅跳び
  • 100m
  • 200m

の3種目にエントリーします。

 

彼女の努力が最高の形で実ることを地球の反対側から応援したいと思います。