ヤマハ社長・中田卓也の経歴は?年収を予想してみた!

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130年以上の歴史を持つ大企業ヤマハ株式会社の社長である中田卓也氏

ネットサーフィンしていたら、ちょうど1年前くらいにカンブリア宮殿に出演されていた時の動画に遭遇しました。

 

 

ヤマハと言えば老舗の楽器メーカーというイメージがあり、世界的にも認知度抜群ですが、そんな大企業を率いる中田社長の経歴など大変興味がありますよね?

これほどの大企業ですから、きっと年収も凄いことになっていることでしょう。

 

ということで、この記事ではヤマハ・中田社長の経歴に着目しつつ年収を予想してみました。

 

ヤマハ・中田卓也社長の経歴は?

 

中田卓也氏のプロフィール

名前 中田卓也
出身 岐阜県瑞浪市
生年月日 1958年6月8日
最終学歴 慶應義塾大学法学部
職歴 1981年、日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ株式会社)入社

 

中田社長の出身は岐阜県瑞浪市とのこと。

同じ東海地方ではありますが、静岡出身ではないんですね。

 

これほどの大企業なので一族経営とまでは行かないまでも、てっきり地元育ちの人材を優遇するなど少しはあるのかも?って勝手なイメージがあったので少し意外でした。

 

生年月日は1958年6月8日生まれとのことで、現在は61歳ということになります。

 

ヤマハほどの社長なので、もう少し高齢かと思いましたが、まだ61歳なので、まだまだ若いですね。

 

そして一番驚くのが中田社長の最終学歴。

一流大学出身なのは流石だと感じますが、注目すべきは法学部卒ということです。

 

中田社長は1981年に、ヤマハ株式会社に改名前の日本楽器製造株式会社に入社されますが、

法律の専門知識を学ぶ中でどうして楽器メーカーへ就職したのか?

すごい気になりますね。

 

中田社長は現在、

自らヤマハ「大人の音楽教室」でギターを学んでる

そうですが、音楽好きが影響しての就職だったのか?と気になり調べてみると…

何と…4歳の頃からヤマハ音楽教室に通う音楽大好き少年だったことがわかりました。

中学・高校時代はバンドを組んでギターを弾きまくっていたようです。

 

影響を受けたバンドは…

・レッド・ツェッペリン!

 

今でも重要な決断を下すときには、このツェッペリンを聴いて頭の中をリフレッシュしているようで、何だか人情味のある社長さんで好感が持てます。

 

私も小学校からBONJOVIなど聴いていたので、世代は違いますが話が合いそうです^^;

 

ということで、

音楽とモノ造りが好きでヤマハ入社は必然的だった

ことがわかりました。

って、ぜんぜん法律と関係ないじゃん!

というツッコミは置いときまして…

 

 

中田社長の経歴を調べながら、これまた驚いたのが、30代の頃は普通の平社員だったということです。

イメージ的には先代の社長の血縁者なんだろうなと思っていましたが、どうやら

平社員から這い上がってきた人

のようですね。

 

30代で平社員ってことは出世コースよりも、第一線で技術者としてずーっと勝負してきた…いわゆる叩き上げの社員だったことが想像できます。

 

そんな中田社長は2010年に

ヤマハコーポレーション・オブアメリカ

の代表取締役社長に就任。

 

その3年後の2013年(平成25年)に、ヤマハ株式会社の代表取締役に就任されました。

中田社長 55歳のときです。

 

恥ずかしながら、これほどの大企業の社長交代が、ごく最近だったとは知りませんでした。

 

ただの音楽とモノ造りが好きな少年が大企業のトップに登りつめた!ってだけで何かお腹いっぱいですが、当のご本人の目標はまだまだ先にあるようなんです。

 

というのも、取締役に就任してからヤマハ社内外の抜本改革を推し進めていっているんだとか。

従来の楽器関連の事業に加え、企業買収やネットワーク機器の開発にも力を入れ始めています。

 

社内組織も一新して創業130周年の節目を越え、まだまだこの抜本改革は進んで行くそうです。

どんなジャンルでも前向きな話を聞くと、自分も頑張らないと!と勇気をもらえますよね。

一流の経営者が、トップの座に座ってもなお、ますます前へ前へ前進しているところを見ると、自分ってまだまだ甘ちゃんだと痛感します。

 

私も普段は設計をしていますが、同じ技術者として、中田社長を見習ってまだまだ自分の技術を磨いていかなければ!という良い気付きが得られて良かったです。

 

 

中田社長の出世の要因はその性格にあり?

 

さて、30代の頃、一般社員だった中田社長がどうやって出世していったのか?

いちサラリーマンとしては非常に気になるところ。

 

調べてみると、出世のキッカケになったのはシーケンサーと呼ばれる自動演奏装置の開発リーダーを務めたことだったようです。

そして、その経験が中田社長の転機となったことがわかりました。

 

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シーケンサーの開発プロジェクトは、当初は9人ほどの小さな組織だったのですが、最終的に100人規模のビックプロジェクトとなったようです。

プロジェクトを約10倍の規模にしたことでの功績が評価された

と想像できますね。

 

そして、そのビックプロジェクトの成功の元となったのは、”なんでもとにかくやってみる”という中田社長のエンジニアとしての好奇心にあったんだと思います。

 

 

私も開発部門で働く身ですが、例外なく大きなプロジェクト等のトップで陣頭指揮を採るのは間違いなく

好奇心(向上心)を持っている人

だと感じます。

そんなエンジニア上がりの人が社長だと、その下で働く社員は環境的に凄く働きやすいことでしょう。

 

 

残念ながら私の会社の社長は、よそから来た非技術者出身が社長なので開発部門の意見や要望を聞き入れてもらえないケースが多々あります。

それに比べ、同じエンジニア出身の社長なら、現場の声(社員の気持ち)も凄く理解してもらえそうなのでヤマハの社員がホント羨ましいです。

 

中田社長は、自分の会社の音楽教室に実際に通うところからも、

現場を大事になさっている

ことが伺えます。

 

もっとも、音楽教室の運営側は緊張して大変だと思いますけど…

 

 

中田卓也社長の年収を予想してみる!

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ここまで中田社長の経歴をざっくりと振り返ってきましたが、やはりどうしても気になるのは

中田社長の年収が一体どの位なのか?

ですよね。

 

東洋経済オンラインのランキングでは、

ヤマハの役員の平均年収は5,620万円

とありました。

 

この数字はあくまでも平均なので、取締役ともなると2倍までは行かないまでも、その1.5倍くらいになる…

8,000万円程度

はもらっているのではないでしょうか?(あくまでも個人的な予想です)

 

ヤマハ社員にとっても

頑張ればそこまで目指せるんだ!

ということを示すために、もしかしたら1億円に到達しているかもしれません。

 

 

現在、推し進めている抜本改革によって会社がもっと成長すれば年収も自然と跳ね上がっていくことでしょう。

私が勤める中・小企業の社長なら、せいぜい3,000〜5,000万くらいが限界だと思います。

 

そんな、大物社長が仕掛ける抜本改革の成果は如何に?

今後のヤマハ関連のニュースに注目して行きたいと思います。

 

以上、最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

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